後藤館

別名-  付近住所 滋賀県東近江市中羽田町  現在- 
2009/10/12 案内板アリ 日本城郭大系


後藤氏 当史跡は近江守護佐々木六角氏の重臣後藤氏在地居館跡である。
後藤氏の名は室町時代前期にあらわれ、代々六角氏の家老の位置にあった。16世紀中頃、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢をふるったが、永禄6年〈西暦1563年)義賢の子義弼に謀殺された。これが観音寺騒動の発端となり、六角氏は家臣団の信望を失い、やがて織田信長に滅される。この後藤館跡は周囲に基底幅約11m、高さ約3mの土塁を築き、その外に堀を穿った単郭構造の館跡で、東西幅、東辺の長さ約100m、西辺の長さ約120mの変形四辺形プランを呈し、西辺土塁の中央部に正門が存した。当時の在地領主の館は、非常時に備えて土塁、板塀などの防御施設が設けられ、敷地内には主屋、納屋、蔵、厩などの建物が存した。
当館跡の建物配置は定かではないが、昭和56年の発掘調査で井戸跡、厠(便所)跡、柵跡などが検出され、その位置から主要な建物は敷地内北部中央附近に存したと推定される。
平野部に残る中世の館跡として貴重であるため、所有者後藤正男氏および関係機関の協力により保存が実現した。
なお昭和58、59年度に一部を環境整備し、ここに永く後藤館跡の保護をはかるものである。